友人なっちが「もうホント、がっかりだわマジで」と悲憤慷慨して電話してきた。あまりの様子に話を聞くと、もうずいぶんと大好きで憧れだったシンガーソングライターの男性が、にわかにブレイクしはじめた、というようなことを言っていた。
まぁまぁそんなことはよくある話ではある。でもなっちの義憤は、有名になってしまう彼から消えていく自分の所有欲ではないらしい。このさきの話にあんまりにも共感した僕となっちはその勢いで居酒屋に入ったくらいなので、せっかくということもあり書き残しとくことにする。
なっちの話によるとシンガーソングライターの某氏は、ブレイクの兆しが見えはじめたところで、東京都内でカラオケボックスを使ったギター講座を実施することにした。なっちはこの彼の行動にたいして憤激し、そして幻滅したという。
この段階で正直、なっちの気持ちわかる。めちゃくちゃわかる。手に取るようにわかる。僕がなっちの立場だったら、やっぱりおなじように憤ると思う。そうしてやっぱり、気分は消沈すると思う。もうファンやめると思う。
じつは僕はむかし、とあるアマチュアロックバンドがとても好きで、熱心に追いかけていた。いい音楽なものの鳴かず飛ばずで売れない彼らだったけど、僕が追いはじめて3年経ったころには、ある程度の認知度を得ていた。そして彼らはバンドのHPを更新してあることを発表した。僕はそのことがきっかけでファンをやめることにした。
彼らは、対バン(共演するバンド)を2組募集すると公表した。
集客効果が見込める知名があると思ったのか、バンドのマーケティングやプロモーションが裏でどう動いていたのか、そういうことは知らないけども、当時の僕はそれがあまりにショックだった。
もし、彼らが自分たちのコネクションで呼んできた対バン相手なら、僕もライブを観に行ったと思う。なぜならそのバンドたちは彼らが選んで信頼してきたわけだから、ファンとして応援する道理になる。
でもね自分たちのネームバリューだけを頼りに公募した対バン相手を、ファンである僕はいったいどんな目で観ろっていうの。
その2組に選ばれるバンドは、憧れの彼らと一緒にライブができるとか、彼らと一緒にやったら自分たちも売れるとか、そういう隠れた視線が見え見えで、若かった僕はどんなバンドが来ても好きになれなかっただろうと思う。
アイドルは、手の届かない崇高な存在であってほしい。
アイドルは、手が届いた瞬間にアイドルでなくなると思う。
学校にはクラスのアイドルと呼ばれる女の子がいたけど、その子はふだん自分と接点や話す機会がなかったからアイドルだったんですよね。その子とよく話す男子生徒にとっては、アイドルではなく友達であり、その子と付き合っている男子生徒にとっては、アイドルではなく恋人であるわけで。
会いに行けるアイドルが日本の文化となってもう長いこと経つけれど、僕はアイドルに会いに行けたら「終わる」と思ってる。
もちろんステージに立つ者は、ファンにとって身近な存在でありたいとかならず思っている。自分たちの歌が、生活の背に流れてくれたらいいな、みたいな。でもそれは精神的な話であって、物理的に身近になった瞬間、それはクラスのアイドルと男子生徒のように、関係が変わってくる。
なっちの話にもどすと、彼女はそのシンガーソングライターの某氏に会いたいとも思わないし、カラオケでギターを教えてほしいとも思わないらしい。わかる。なっちのギター超下手やけどわかる。
会いに行けるアイドルにせよ、ギターを教えてくれるシンガーソングライターにせよ、そうやって持った接点が「焦がれ続けた永遠に手の届かない憧れ」をぶち壊すんですよね。そうなってしまったら、表現者として、アーティストとしてのアイドルやシンガーソングライターは堕落する。落ちぶれたなって思う。成り下がったなって思う。失意も嘆息も流れるように出てくる。
もし、なっちが憧れていたシンガーソングライターが「ギター講師」として自分を保ちたいなら話は通るけど、アーティストとしていたいならダメだと思う。ゼッタイ。
アイドルが、シンガーソングライターが、ロックバンドが、ファンを大事にするのはとても大切な姿勢。でも、「ファンとの距離を縮める」という大義や名分を掲げて「会いに行ける身近な存在」でありたいとするなら、踏み違えていると思う。
一人を大切にするあまり、その他大勢を落胆させるのは、ステージに立つ者として失格。なっちと僕はその晩カウンターで焼酎とコーラレモンハイボールで泥酔アンド爆睡して、大学生くらいのバイトの店員に起こされました。目が覚めたら土曜の朝でした。おしまい
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