ミュージシャンであるなら、ステージを観に来てくれたひとに感謝するのがふつうだ。会場の客に狂態をみせる酔っ払った玉置浩二や、女性インタビュワーに「腕だけでなく脚も広げて歓迎しろよ」と発言したジーン・シモンズなど、世が世なら時代も時代でとんでもねーミュージシャンもいたもんだが、基本的にミュージシャンという生きものはセックス・ドラッグ・ロックンロールとか言っときながら、観に来てくれるとうれしいものなのだ。そういうふうにできているのだ。
MCやアンコール等で「ありがとう!」と感謝するミュージシャンはこれまで何人も何百人も観てきた。ただ、過去にひとりだけ、「ありがとう」の重みが桁違いだったひとがいる。
いつの間にか すきま空いた 心が満たされて行く
ふとした瞬間の さりげない仕草
いつの日にか 夢を語る あなたの顔をずっと
見つめていたい 微笑んでいたい
(明日への扉 / I WiSH)
I WiSHのaiとして川嶋あいが書いた「明日への扉」は、かつてラブソング群雄割拠時代にロングランを記録した。しかし、この歌はご存じのように川嶋あい本人の手で「旅立ちの日に…」として書き直されている。
この書き直しについては、I WiSHのプロデュース云々や、川嶋あいの意志がどうだと今更ほじくり返すことはしたくないので、真っ正面からおなじメロディのふたつの歌として受けとめたい。川嶋あいはのちに「大切な約束」「もう一つの約束」と題して、「タイトル違いのおなじ曲」に自分でけじめをつけているので、ディスコグラフィーあさって聴き返してほしい。
ただ、「旅立ちの日に…」をどうしても書きたかった、正確に言えば“どうしてもうたいたかった”川嶋あいの気持ちは尊重したいとは思う。生涯をかけてうたっていくために決断した「明日への扉」という歌にたいし、彼女が高校時代に書いた「旅立ちの日に…」は、存在において決して矛盾しない。そもそも楽曲の歌詞が完成への過程で書き直されるなんてミュージシャンにとっては日常茶飯である。「明日への扉」も「旅立ちの日に…」も、あのメロディは出るべくして、世に出た歌である。
そんな「旅立ちの日に…」にはこんな一節がある。
耳元で聞こえる別れの歌を
あふれ出す 涙こらえて
旅立ちを決めた仲間たちには
はかない調べが降り積もる
(旅立ちの日に… / 川嶋あい)
「はかない調べ」ってのがこの歌そのもののことを指しているのかどうかは知らないのだけど、川嶋あいというひとりの人間の半生を読みかえったとき、「別れの歌」「旅立ちを決めた仲間たち」という言葉が、そこらへんにある卒業の歌と同列にはきけなくなってしまう。
有名なはなしなので説明するだけ野暮だが、川嶋あいは生まれた時点で父親が行方不明、3歳のときに母親を病気で亡くしている。養父母となった家庭とも10代で死別しており、思春期までに生みの親と育ての親を4度なくすという悲しい過去がある。
自主制作CDを5000枚売る、路上ライブを1000回やる、メディアがさんざ話題にとりあげた彼女の行動におおきく関わったのが、養子として引き取られたさきの母親だった。川嶋あいはこの母親について、ある有名なエピソードを残している。
前日、母さんと話をした。この日、初めての給与が出た。給与というか「路上で頑張ってるから使いな」っていくらかのお金をもらえた。母さんにそのことを話した。「もう大丈夫だから仕送りしなくていいから」って話もした。電話口で母さんが声を出して泣いていた。
「ごめんね」と「ありがとう」を繰り返してた。母さんがちょっと元気になったことがうれしかった。「よかった」って思いながら寝てしまった。
(中略)
翌朝、電話の音で目が覚めた。
知り合いのおじさんだった。
こわばった声に、ただごとではないとすぐにわかった。
「あいちゃん、しっかり聞きなさいよ……。お母さんが亡くなった」
(最後の言葉 / 川嶋あい著)
川嶋あいは、母親の「ごめんね」と「ありがとう」にたいし、おなじ「ごめんね」も「ありがとう」も返せなかったのである。病床の母の容体に安心したせいもあるだろうし、彼女自身の照れや強がりもきっとあっただろう。しかし翌日に、その母親がこの世を去るのだ。
もともと相当量の悲しみエピソードがある川嶋あいである。I WiSHのメンバーだったnaoの前妻・Tamamiとは数々のステージを共演してきたが、そのTamamiも2011年に他界している。生い立ちや、デビュー時だけを見なくても、彼女の歌にはいくつもの「悲しみ」がある。
ごめん 何もできないまま 君を困らせてばかり
ありがとう ずっと一緒に居てくれて
そう 頭ではきっと分かっていたはずなんだ
でも何故? 涙溢れてる
そう ありがとう 繰り返して君との恋閉じた
(ごめん / 川嶋あい)
わりかし実直でわかりやすい文体で書かれているうえに、曲そのものも恋愛の歌としてリリースされているが、川嶋あいの歌にはこういった「だれかに感謝したかった気持ち」と「それを伝えられなかった気持ち」が、恋愛をあつかうにせよそうでないにせよ、随所に書かれている。
その源流となっているのは、母親に言えなかった「ごめんね」と「ありがとう」という言葉が挿話としてあるのだろうけど、それだけに彼女がうたう「ごめんね」と「ありがとう」が、ほかの歌手とは比類ないほど、心の芯のいちばん堅い部分に刺さるのだ。
いつの間にか すきま空いた 心が満たされて行く
ふとした瞬間の さりげない仕草
いつの日にか 夢を語る あなたの顔をずっと
見つめていたい 微笑んでいたい
(明日への扉 / I WiSH)
ラブソングの王道を突き走った「明日への扉」も、そうやって聴くと、彼女自身の幸福の価値観が顕著に見える気がする。
行き場なくした強がりのクセが
心の中で戸惑っているよ
初めて知ったあなたの想いに
言葉より涙あふれてくる
(明日への扉 / I WiSH)
少し幅の違う足で 一歩ずつ歩こうね
二人で歩む道 でこぼこの道
二つ折りの白い地図に 記す小さな決意を
正直に今 伝えよう
(明日への扉 / I WiSH)
ふつうの恋愛関係にある男女の歌にも聴こえるし、実際事実そういう歌である。そのなかで、親と子の「幅の違う足」や電話での「正直に今 伝えよう」など、彼女が経験した母親との優しくて悲しいエピソードが透けて見える箇所は、率直に「そうだったんだな」とも思えるのだ。
耳元で聞こえる二人のメロディー
溢れ出す涙こらえて
ありきたりの言葉 あなたに言うよ
「これからもずっと一緒だよね…」
(明日への扉 / I WiSH)
娘がうたうすがたを、だれよりも誇らしく思ったひとだったと、川嶋あいは著書で綴っている。「これからもずっと一緒だよね…」という一節の最後に「…」が付いているのも、母親が死んでしまったからこそぐらついていた当時の立ち位置や足場の不安定さを表現しているふうに感じる。「ありきたりの言葉」が「ありがとう」でも「ごめんね」でもなく「これからもずっと一緒だよね…」だというのが、川嶋あいではなくI WiSHの歌であるというのは、いくらなんでも都合のいい結果論だろうか。
言葉が今 時を越えて 永遠を突き抜ける
幾つもの季節を通り過ぎて
たどり着いた 二人の場所 長すぎた旅のあと
誓った愛を育てよう
明日への扉 / I WiSH)
この歌に、ただの恋愛のあれやこれだけではなく、自身の幸福論を持ち込んでいるとしたら、「長すぎた旅のあと」というのも「天国に行ったら」くらいのニュアンスで受け取れてしまう。「一度でもいいから、母にステージをみてほしかった」と語る川嶋あいの心中に、彼女が、母親に言えなかった「ごめんね」や「ありがとう」という言葉をどれだけ真摯に使ってきたかがうかがえる。
だからこそ、「ごめんね」とうたう川嶋あいはひとの心を打つし、「ありがとう」とうたう川嶋あいはステージのうえでだれよりも輝いている。別れとか旅立ちとかいう悲しみを何度も受けとめてきた川嶋あいじゃないとうたえないその言葉の意味は、どんな歌であれ、比類ない悲しみに満ちて無比なほどたくましい。
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