憧れは、いつだって海の向こうにあった気がする。
日本という国に生まれて、音楽や映画、根本的な風土に土着したカルチャー、いつだって僕に新しい世界観を魅せてくれるのは海外の文化だ。ビートルズ、ノー・ニューヨーク、エレキギター、ノヴァーリス──。
近年、アジアをルーツにもつアーティストたちのめざましい活躍がある。音楽でいえばMitsukiが数年前にリリースしたアルバムがピッチフォークを筆頭に各メディアで取り上げられ絶賛された。さらにそこからジャパニーズ・ブレックファーストやジェイ・ソム、スーパー・オーガニズム、yaejiなど記憶に新しいものも多い。
一過性の、消耗品のようにフィーチャーされれば本人達は不服かと思うが、したたかに、上手く波を乗りこなしてほしいと思う。少なくとも上に挙げたアーティストたちは総じて優れて広く世界水準を満たしており、そういった芸術はまさに普遍的だから、実際にはムーブメントに巻き込まれること自体はたいした問題じゃない気もする。
ロング・ビアード。ニュージャージー州のシンガソングライターだが、これもその面々に加わるだろう。
イントロダクションを任された1曲目「カウントレス」から「スィートハート」までの4曲にまるで隙がない。一挙に雪崩れ込むかのようにオルタナティヴでポップな作品観に飲み込まれ、アコースティックに感情を伝えられながらもどこかフォーキーなドリームポップに、ひとりの人間としてなにひとつ太刀打ちできない。5曲目「エンプティ・ボトル」からは音響系の立体的な難解さも出てくるから、アルバム前半で耳を鷲掴みにして後半に聴かせるタイプの構成である。
そしてその後半に出てくる表題曲「ミーンズ・トゥ・ミー」、まだここまでのポテンシャルがこのアルバムに眠っていたことに絶望すら憶える。余力で行なう所業じゃない。深いリヴァーブにクリーントーンのギターが包みこむように支えるのは、幽玄とある種の安らぎを湛えたメロウなボーカルである。どこか浮遊した、居どころの落ち着かない所在無さを表現しているアレンジはあるが、タイトに刻まれたハイハットがしっかりと根底を支えている。アルバムの締めくくりにこれほどの大曲をしつらえるのはもはやハラスメントである。名盤の条件を満たしている。
最近、海外のセレブが着物を着たり、和食が見直されたりする見出しをよく目にする。発信する側の活躍で日本の文化そのものが注目を浴びているのか、そのあたりの前後関係は浅学にしてよく知らないのだが、日本人としては嬉しい気分である。海外に憧れ、自国を誇り……。
憧れは、今日も海の向こう側だ。素敵な音楽に勇気をもらいながら、手首をぐるんぐるんに廻しながら生きていく。