「単純明快 脳みそ グルグル働いても / 出てくる答えは結局 “Yes, No” “Yes, No”」
「いま自分にできることを ひたすらに流されずにやってみよう」
Appleから見放されかけてる僕の初代iPhone SEは優秀だ。こんなときにもいい歌を流す。
前回のエントリーにも書いたが、新型コロナウイルス感染拡大防止対策の一環として、かなり早い段階で政府は文化を見捨てた。ライブハウスはウイルスの溜まり場のような目で、ミュージシャンは色眼鏡で、視線を浴びてきた。似たように後ろ指をさされたエンターテイナーもたくさんいたはずだ。
この話は、数ある文化のなかで、少なくとも音楽において、の話ではあると思うんだが。
話題になっている星野源のメッセージは、膨大な選択肢の眼前にいる音楽業界の救いだ。いまが、いまこそが、とは言わない。このさき1年、2年とかけて、音楽は、エンターテインメントは、長い正念場の真ん中にいるだろう。5年かもしれない、10年かもしれない。いずれにせよ簡単には終わらない闘いになる。
それでも、と僕は思う。
音楽を愛する全員が、星野源のこの投稿を、星野源のこの歌を起点に「ただでは起きない」と心に決めてるはずだ。賢い人間じゃない、深い人間でもない。強くなんてなりたくない。冒頭、僕にきっかけをくれたゆずは「少年」でうたう。
自分らしく あたたかく生きていこう
いつの日か、なんの悪玉にも怯えることなく、エンターテインメントを迎えられる日が来ますように。健康で文化的な最低限度の生活を、それぞれのやりかたで、自分らしいやりかたで、楽しむ日が訪れますように。願うしかない。ここはもう、全力の他力本願。
だから、いまはうちで踊ろう。
生きてまた会おう。
勢いだけの未熟な演奏だが、祈らずにはいられない。こんなことで潰えたくない。
おぼえてろよコロナ、地球の科学技術の粋をあつめた特効薬が、いまにおまえを捻り潰すからな。