東日本大震災の翌朝である。僕たちはツアー先で訪れたアイリッシュパブで演奏をした翌日に、ようやく日本の現状に追いつくことができていた。スマートフォンを持っていたかもあやしい頃だし、SNSも便利に使えるわけではなかった。でも、パブのテレビでかろうじて映る津波の映像と、報道と、混乱は、翌日13日もギグを控える僕たちにSTOPをかけるには十分だった。
アイリッシュパブの隅で、バンドメンバー数人とeモバイルでなんとかインターネットをつないで、情報を集めていた。デジタルデバイスをPCくらいしか持っていないなか、新聞を買ってきたり、テレビを常に流したりして、精いっぱいのライフラインで日本の現状を更新していた。
僕らのほか、店にいるのはアイルランド人のマスターと、同じくアイルランド人の演奏家たちで、みんな心配そうに僕たちに話しかけてくれた。津波のこと、原発のこと、このあたりは心配はなさそうだけど、東北のほうは……と言葉を詰まらせた。
お金も置いていった。肩に手をやって、「日本はいい国だ、大丈夫」と言った。
「そうだよ、トヨタもあるし、パナソニックもソニーもある」
「俺はピカチュウが大好きだ」
「すき焼きもひつまぶしも美味い」
「イチローは最高の野球選手だ」
「ONE PIECEはおもしろい」
みんな、知っている日本のものや日本人の名前をならべて励ましてくれた。四六時終日、酒を飲んでいたアイルランド人が、真剣な顔で僕たちを元気付けようとしてくれた。
「なあ、明日も演奏がある。だけどお前たちは故郷に帰ったほうがいいんじゃないか? お前たちの故郷は震源地からは遠いんだろう?」 気がつきゃあからかってきて、大雑把に楽器を弾いては酒を飲むアイルランド人の性格が、あのとき初めて身にしみた。
でも、僕たちは帰らなかった、ツアーをやめなかった。そのかわり、置いていってくれたお金と、明日の演奏のときに落としてくれる投げ銭を、義援金として寄付していいか?とたずねた。
マスターはしぶったけど、最終的には頷いてくれた。「少なくとも明日一日は、お前たちの命は保障してやる。俺が守ってやる」情熱的なマスターのハグはやっぱり暑苦しくて、酒くさかった。でも、あたたかかった。
来てくれたひと(来れなかったひとも多かったけど、現地の顔見知りの何人かが駆けつけてくれた)の、たくさんの笑顔をその夜は見ることができた。そして、終わるころにはいままでにないくらい、僕のギターのハードケースにはお札や硬貨が入っていた。
演奏中、僕たちは義援金のいきさつを話し、アイルランド人のフィドラーがそれを翻訳してくれた。会場から拍手というかたちで了承を得た。ってことは、本質的にはどちらでもいいのだけれども、この義援金は僕たちからではなく、ギグの参加者全員からのものになる。
◇
前日、11日、地震が起きた。
幸い僕の地元もツアー先も被害らしい被害はなく親類、知人友人の安否も翌日には早めに確認できた。(猫は5時間くらい見つからなかったけど)
僕はもともと、メディアによって拡大した臨場感と、実際に自分ができることの範囲を混同してはいけないと考えている。端的にいうと、メディアを通じて世界中の戦争に臨場感は持てるけど、それに対してなにもできない自分に罪悪感を感じてはいけない。
でも、当時黎明期を迎えていたツイッターの存在は、一方通行ではないなにか希望のようなものを、感じたのを明確に覚えている。(猫を探しながら)ツイッターで情報のやりとりをしたり、出典の確かな情報はRTしたり(途中あまりにも猫が見つからないのでその旨のツイートもしたんだけど……。見つかりました。ありがとうございました)。なかには「拡散希望」という大義名分を掲げて、実際はたいして役に立っていないのになにかを達成したかのような充足感を得てしまっているひと(自分の仕事は終わったので、あとは動けるひとが動いて!みたいな思想が嫌だった)にイラついたりもしたけど、現実として取り残されているひとがいるのは事実だから110番をして、話し中だったり。FAXがいいと聞いてそれだ!と思いFAXをして、話し中だったり。FAXに話し中があるのは知らなかったり。
だからこそやはり、現地の臨場感の外にある僕が直接救援に関われる「限界」を感じた。現地の臨場感は、こちらからはわからん。文字には限界があり、間違った伝わりかたが齟齬のほとんどを招いている。自分のいる場所と、できることを勘違いしてはいけない、と強く思った。だからその日はできることをした。交通の移動方向として悪化も混乱も招かないと判断し、考慮できることは最大限、考え得る限りを尽くした。
心境的に、音楽なんて…というかたもいたと思う。正直、僕たちのなかにもそれはないと言えば嘘になる。しかし、あの頃の僕たちにとって歌は生活であり、いっときの感情に振り回されていいものではなかった。幸いお金も事前にいただいていないし、来れなくてもそのひとに金銭的損失はない。
ここの臨場感で歌える範囲をうたえばいい、と思った。悪意と善意があるら、善意だけを空振りさせることなく被災地に届けるため、という判断だった。
◇
あのギグからもう、10年以上が経った。僕はいまだに、日本に住んでいる自分が好きだし、なにかっていう大きな悲しいことが起こる折々に、あの日のことを思い出す。そして自分に言い聞かす。
日本はいい国だ、大丈夫。キヤノンもあるし、三菱もサントリーもある。俺はドラえもんが大好きだ。寿司もかにめしも美味い。オオタニは最強の野球選手だ。SPY×FAMILYはおもしろい。
母国が惨劇の渦中にあるひとを見かけたとき、歩み寄って肩をたたいて、なんの恥ずかしげもなくお金を置いていくのは、簡単にできることじゃない。僕は彼らと同じことをする自信がない。全くない。
でも、だから、せめて、日本に住んでいる自分を愛することができるように、選挙にもいくし、自分にできることをする。それはなにも、悲しい事実から目を背けない、ということなんかでは決してない。
ストレス脆弱性は個々の体で違う。大丈夫だと思っていても、存外すぐにつぶれてしまうから、見ないふりをしたり、目を逸らせたりして、コーピングしなければならない。自分が駄目になったらおしまいだし、体の削り粉まではだれも拾ってくれない。
適切、不適切、余剰、報道、言論、暴状、統制、昭和戦前、出自や思想性や属性、凶行、許容され得ない、社会の安定、国民の生活、棄損、人命、国内の安全、社会の自由、民主主義、願う、祈る、無事、冥福。
報道をみて飲み込んだたくさんの言葉たちが、脈づき得るたったひとつの出来事が、あってはいけないことだと思うから、損なわれて喜ばれる命なんてないと信じたいから。
だから明日は、選挙に行こう。
祖国をこれからも愛せますように。この国に住んで幸せになれますように。世界じゅうのひとに(少なくともアイルランド人には)愛されるこの国を守れますように。一丁の拳銃ではなく、一票の投票を、見舞いでも香典でもないその一票を行使することで主体的に国に関われますように。
まぁ僕は期日前投票で済ませているんですけど。
まぁ僕は期日前投票で済ませているんですけど。
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