大怪我からの復活は、生まれ変わりだと云う

2022/12/01

t f B! P L
安々穏々とした2022年の4月、桜を散らす突風のなか雨足の強まる昼さがりに、車に吹っ飛ばされた。

当時大阪に勤めていた友達が新型コロナ陽性となった次の日、僕は二度目のワクチンを接種しに行った。やっぱり、ひとの集まる街ではいつだれが罹るかわからんもんやなと思い、気をつけようと身を引き締めたところだった。

車種も知らん。年式も走行距離も知らん。どこナンバーの何色の車かもまったくわからん。わかっているのは、ブレーキをかけた痕跡がなかったらしいことと、少なかれ残ってたはずのタイヤの跡は当時の雨で流されたということだ。

死ぬかと思った、などと考えた記憶もない。目が覚めたら病院の天井が見えて、驚いた顔の看護師さんが大きな声で僕の名前を呼んだ(そのあと、さらに大きな声で医師の先生を呼んだ)。

あまり詳細には書かないが、全身麻痺に至るほど頭や首を強打したらしく、自分の意志に体が従わなかった。ワクチンの副反応で全身がだるい。悪寒がするが、寝返りのひとつも打てない。

正気じゃなかったと思う、「死んだほうがよかった」と、本気で考えていた。映画『潜水服は蝶の夢を見る』の冒頭のような疎通手段(※1)は苦楽で言えば苦のほうで、記憶障害がないかとか、事故当時のことを憶えているかとかを、早い段階からヒアリングされた。

その後、徐々に麻痺が抜けて発声と発語ができるようになり、『潜水服は〜』のコミュニケーションも不要となった。腕も上がらないし、足も組めない。起き上がることもできないけれど、声で会話が成り立つだけでずいぶん楽になった。そのころ、いくつかの偶然が重なり、津奈木(※2)が会いに来てくれた。


いろんな話をした。


事故の顛末と現状、今後の療養、死にたい、死んだほうがよかったと思って生きてくのが怖い、鬼滅の刃のぬりえまだ描ききってない、生きてく自信がない。でも、津奈木と話しているうちに、「生きてて、よかったのかもしれない」と、ちいさく思い始めた。同期とはいえ年下の女の子が涙を流して安堵している様子を見たらだれだってそう思うのかもしれないが、うすぼんやりとでも前を見ようと思った。上を向こうと思った。

でも、生きていくことを覚悟したところで、きっとまだいろいろなものを諦めていたんだと思う。体が動かないことで不可能に変わってしまうこれまでの生活を、ひとつの諦観として強引に受け入れようとしていた。

津奈木は、たぶんそれに気づいていた。だから大学の共通の友達や恩師、僕のバンドメンバーやお世話になった友人たちに連絡をとってくれたんだと思う。とりあえず連絡帳にある名前のなかで、自分の手の届くひとから、メッセージを集めてくれた。

様々なことが見えていなかったために僕が「いなくなりたい」と言ったSNSにも、津奈木は津奈木自身の正直な気持ちを書いてくれた。リプライやDMもいただいたし、友達のはからいでお手紙まで届いた。

津奈木の文章は、読んでくれたひとに真摯に届いたと思う。勇気のいる決断だったとは、津奈木に対しても、読んでくれたひとや、リアクションをくれたひとに対しても感じている。リプライやお手紙を書いてくれたひと、ことの大きさに当てはまる丁度いい言葉を見つけられなかったひと、黙って受け入れて、信じて待つことを決めたひと、生活の片隅で気にかけてくれたひと、すべてのひとに感謝している。どれが正しいとかじゃなくって、僕の状況とご自身の容量にたいして、みなさんがとった行動はすべて肯定されるべきだ、ということだ。

腐るところだったし、もしあそこで腐っていたら、ふたたび手にとれた感覚をたくさん見殺しにしてきたかもしれない。言葉をかけてくれたひとも、言葉にできなかったひとも、言葉にしなかったひとも、支えてくれたすべての関わりという意味で、感謝する場はいくらあっても足りない。ここでも、そのいち場面としてありがとうと言わせてほしい。

入院はつらかったし、リハビリはアイエヌジーでつらいけど、春からいまにかけて、たくさんのひとに気晴らしをもらっている。インスタグラムでリクエストしてもらった絵は延長戦が始まったし、ツイッターで文字にせよ音声にせよお話ししてくださる友達にも恵まれている。



話が少し前後するけど、SNSのアカウントを消そうと思っていたのは本当のことだった。でも、僕だとわからないようなアカウントを別につくってこっそりみなさんの投稿は見たいなと思っていたし、ラジオも音楽も聴くつもりでいた。それが人生の第二章かななんて気の抜けたことを考えていた。

「ヘイ、Siri」って呼びかける練習もしていたし、iPhoneのアシスティブタッチ(障害者が障害に応じてスマホを使える機能)のことも教えてもらった。口で絵筆を咥えて絵を描く想像もした。体のことで余裕の出てきたときに、そうやって少しでも前向きに生への活力を見出そうとした背景の面々に、メッセージをくれた友達はもちろん、SNSにいる顔も知らないみなさんが名を連ねています。

いまこうしておなじIDでいるのは最初は想像しなかったけど、「大怪我からの復活は生まれ変わりだ」とも言ってもらった。

職場も変わらないかもしれないし、第二章らしい生活環境はなにもないかもしれないけど、自然な歩容で歩けるようになろうと思ってるし、会いたいひともたくさんいる。そのときは、シン・ウルトラマン=レオ(※3)として、よろしくお願いします。




※1 五十音を「あ」から「ん」まで順番に辿ることで一文字ずつ疎通したり、まばたきの回数で「はい/いいえ」を伝えたりする方法。短気なひとには本当に向いてないが、映画では短気なひとがやっているので観てほしい。

※2 大学の同期。同期だが三浪の僕と現役の彼女には年齢差が存在している。ちゃんと歩けるようになったらナガシマスパーランドに連れていく約束をしている。好きな食べものは柿。

※3 ウルトラマン=レオのペットの名前は「ロン」らしい。ウィキペディアによる。

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好きな言葉は「アイスクリーム4割引」、嫌いな言葉は「ハーゲンダッツは対象外」です。趣味はドラえもん考察。読売ジャイアンツのファン。高2のとき現代文の全国模試で1位に輝くも、数学に関しては7の段があやしいレベル。

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