いま思えば、と言うと後出しじゃんけんになるからずるいけど、20周年のときに「ロックバンドの覚悟の話」を再三再四にわたり聞かされていたとき、マジでこいつら解散するんじゃねえかと心配になった。
だけど、19年目の『いけないfool logic』をとびきりポップにしたのは「20周年を挟んでも忘れられないように」するためだとかなんだとかそういう言葉を信じてたし、実際20周年の武道館では解散しなかったし。まあ大袈裟に捉えすぎたかなとか思ってたんですけどね。
おれは田淵智也が、「バンドなんて飽きたら辞める」と散々発言してきたことについて、彼らしいなと思っていたし、実際そうなんだろうと思っていた。多分そのときは本当に解散するんだろうとずっと信じていた。
それなのに、2026年4月27日の夜9時まで、おれはUNISON SQUARE GARDENから誰かが辞めたいと言い出したり、バンドが一度終わってしまうような状況に立たされることを、微塵も想像していなかった。
おかしな話だよな。
そんなことも感じさせない音楽をずっと鳴らしてくれていた3人に、本当に、心から、感謝している。だけどその一方で、本当にどうにかならなかったのかとも感じている。
おれはロックバンドを奇跡だと思っている。所詮は他人にすぎない人間が集まって、同じ方向を鳴らして、生活を、人生を預けるという奇跡だ。だから、バンドがいつか終わってしまうことも、メンバーが辞めたり死んだりすることも、心のなかでは解っているし、覚悟もしている。
でも、いざ「そのとき」が来ると、どうしようもない気持ちになる。他人の組んだロックバンドを他人の都合で終わらされて、他人の人生が他人とともに進んでいくだけなのに、どうしてこんなに感情を左右されなくちゃいけないんだと、自分が嫌になる。もしかしたら本質的な意味で、おれはロックバンドに夢をみすぎているかもしれないし、覚悟なんてこれっぽっちもできていないのかもしれない。
だけどおれは、ロックバンドが好きだ。
報せを見たとき、ほんの一瞬だけ「脱退を寂しがるくらいなら、いっそ解散したほうが楽だったかもな」と考えてしまった。それはそれで、UNISON SQUARE GARDENらしいとも思った。下手な期待をしたり、貴雄じゃないドラムのUNISON SQUARE GARDENを聴くよりも潔いと思った。
だけど、斎藤宏介はブログで「解散できなくて」という言葉を用いた。
本人たちのなかにも「解散」という選択肢が現実味を持って存在したこと、それをさせない身近な声があったこと、なにより最初に「辞めたい」と言い出した田淵智也のなかに、バンドを残しておく未練に近い感情が入り込む余地があったこと、様々な含意について考えた。
べつに解散ライブがあっても行きたいなんて思えないし、けじめをつけることと、ちぐはぐな彼らを見ることは意味が違うとも思う。
だから叶うなら、せめて活動再開後のUNISON SQUARE GARDENを、どういうかたちであれ好きでありたい。「あのときドラム辞めちゃったけど、でも、バンド残してくれてよかったな」って思いたいよ。
おれはロックバンドが好きだ。どれだけ他人の事情に振り回されようとも、ロックバンドが好きなんだ。
ありがとうの気持ちだったらいくらだって返してやる。だからおれに、おれの好きなロックバンドを、未来でも好きだと言わせてくれ。
おれの心が必要なんだろ? お人好しじゃねえよ、おれだって執拗なんだよ。
頼むよ。

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